人生トライ&エラー 〜大人の発達障害である私の生き方〜

障害と自分、仕事と自分、人間関係などいろんな古今奮闘をゆるーく語りたいですね。また、自分の趣味等感じたことを語ります。

「こんな(障害者の)私でも働かせていただいてる」と言われて、卑屈になるな!パート1

ある人から、

「障害者はあまり贅沢を言うんじゃない!働かせて貰ってるんだからありがたく思いなさい」

 と言われた事を思い出しました。

 

ステレオタイプの奴に気を付けろ!

 

 「決して卑屈になる事はない!そう言われても堂々と働こう」

「自分のスキルを磨いて結果を出せばひともく置かれる!」

 

 

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普通に働いてる。

 

私はその時、その事について考えてみました。

 

・「障害者」ってそれだけお荷物な存在なのか?

・「経営者」にとっては「障害者」に働くと言う事は施し行為なのか?

 

それだけ私たちは生産能力が低い存在なのか?

 

しかし、ネットやマスコミを通して肢体不自由な人たちが「会社経営」をしていたり、最近では重度障害者が「参議院議員」になったりする世の中。

 

障害者も色々と活躍している昨今、身近にある市役所等は車椅子で色々と仕事をしている。

妻の職場でも障害者を雇っている。

 

知的障害者に至っては、覚えが中々難しいと聞いているけれど、何度も反復し周りの職場の人から色々と助けてもらいながらも、その人自身が覚え易いやり方を開発し工夫次第では、完璧に覚え、生産能力も高まったとも聞いている。

 

私たち「障害者」は何時迄も生産能力がない「ダメ」な存在なのか?

「工夫次第」で私たちも「生産能力」があがるのではと思います。

 

「企業」はもちろん売上など儲ける事も大切だと思う。

しかし、それと同時に社会貢献の役に立つ存在でもあると思う。

 

その中で、「障害者」も社会貢献できていると言う実感があれば、

 

そう言う言葉を言われても「卑屈」になる必要はない。

そう言う言葉を言われて「馬鹿にされる」存在ではない。

 

自信を持って共に働こうではないでしょうか?

 

 

 

仕事内容・スキルはフラットな目で

 

障害がない人も、フラットな目でみて欲しいと思っています。

 

その人の障害を見るのではなく、「能力」を見ていただきたい。

多少の助けは必要かもしれないけれど、「能力」があればそれをいつかはカバーできるぐらいの生産性は「障害がない人」と同じように活躍できると信じています。

 

私は「仕事」においては、「障害者」だからとかと言う事は関係なく、

「能力」を高め「スキル」を上げ活躍するのは全てにおいてスタートラインは同じであると考えます。

 

「障害者」といえども「あかん」やつは「あかん」人ですよ。

 

しかし、「この仕事が好き」「自信がある」「頑張れる」「功績を残す事ができる」のに「障害者」であるがために「できない」と決めつけるのは何と勿体ない事だろうかと感じています。

 

 

 

人生トライアンドエラー

 

経営者も色々試行錯誤して頑張っている。

 

「障害」のある人も

「障害」のない人も

 

働き方を見出すために様々な努力、

また、助け助けられている事。

 

そう言う思いでいると、

「障害者は働けるだけで有り難いと思え」

は言えないし、言われたとて卑屈になる必要はない。

 

と思います。